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日々、フジマキコクバン。

大阪在住。フリーの編集者兼ライター・フジマキユウコが書いています。

つかんで、引っ張る。

忘れたくなくても、忘れてしまうことがある。

思い出したくても、思い出せないことがある。

 

忙しくなると、つい、

自分は一体何を忘れてしまったのかを考える。

思い出したいことを考える。

 

きっと、たくさんあるんだろうな。

嬉しいことも悲しいことも辛かったことも、

刻み込んだと思っていたもの、どれくらい記憶にあるのだろう。

 

ぼんやりと考える。

だけど、何も出てこない。

何を忘れたのかも、思い出したいのかも、

分からない。

 

だけど、ただひとつだけ、

絶対に忘れたくないものがある。

 

それは、父親の声。

 

私は写真家なので、父の写真を何千枚も持っている。

うどん屋の主人だった骨太の親父の姿を、

三姉妹の父親で、九州女の夫である彼の姿を。

 

そして、

父に病気が見つかって死ぬまでの半年足らずの姿を。

 

私は、両目でずっと見てた。

父のすべてをずっと見てた。

 

自分の目に映る父の姿を、写真にした。

写真にすることしか出来なかった。

 

病気を治してやることも、長く生かしてやることも出来ない。

だんだん死に近づく父を支えてやる力も、覚悟もない。

 

ただ目の前で起こっている現実を、両目で見るしか出来なかった。

 

父が死んで、

ふと、父の声がどんなんだったかな?

と一瞬考え込んで、慌てることがある。 

 

記憶の引き出しを開けまくっても、見つからなくて、

思い出せそうなのに、どんどん離れて行くような感覚。

待って待ってと追いかける感覚。

 

そうならない為に、毎晩、思い出したい。

 

私の名前を呼ぶ声、怒鳴りつける声、お風呂で歌う声。

 

写真に残せない声を思い出すときは、

ようやく尻尾をつかんで抱え込むような

「あぁつかまえた。よかった」という感覚。

 

危なかった。